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(2001/12/07) もっとウイルス
いよいよ師走であるが,ウイルスメールの猛威はとどまることを知らない。にむだ,ありず,ばっどとらんすと次から次へ,わたしのアドレスにも毎日コンスタントに数通ずつやってくる。これは明らかに「(1) Microsoft Outlook Express をデフォルトの設定のまま使っている」かつ「(2) ウイルス対策ソフトをインストールしていないか,たとえしていても適切にデータ更新をしていない」しかも「(3) Microsoft Internet Explorer にセキュリティ上の弱点があるにもかかわらずアップデートしていない」,という人がかなり居るということを示している。・・そりゃあかなり居るだろうなあ。電気屋でPC買ってきて「らくらく接続ツール」か何かでインターネット接続して,「おおっメールができる!」とか言ってそのまま使い続けてると,そうなる。
そのうえ,上記 (1),(2),(3) について対策を施すことは必須なのであるけれども,それがなかなか簡単ではない。ウイルス対策ソフトを数千円で買うことにさえ,既に抵抗感があったりする(「今度のウイルス騒ぎだって,ウイルス対策ソフトメーカーの陰謀じゃないの?」なんていう説まであるし)。IE のアップデートなんて,MS が雑誌の付録CD-ROM に収録することを認めていない(らしい)ので,オンラインで行わなければならない。サイズも半端ではないから時間がかかるし,失敗することも珍しくない。さらにさらに,それらの障害を乗りこえ,万全の対策をとった(と思った)としても・・
先月末の話である。わたしは Outlook Express を常用していない。ウイルスバスター2001 をインストールし,頻繁に − その前日にも − データを更新していた。Internet Explorer 5.5 は SP2 にアップデートしてあった。十分ではないか?
午前中外出していたわたしは,事務所に戻ってマシンを起動し,メールを受信した。例によっていかにもウイルスっぽいメールがきている。添付ファイルの拡張子は .scr となっている。間違いない。・・と,ここで魔がさした。ウイルスバスターがちゃんとトラップするかな? どれ,添付ファイルを開こうとしてみよう。・・ありゃ,警告が出ないぞ! やばい!
ウイルスの存在に気づいた瞬間にやるべきことは何か? それはマシンをネットワークから「物理的に」切り離すことである。設定を変えて・・ なんて悠長なことをやっている暇はない。要はLANケーブルを引っこ抜くのだ。
ウイルスつきメールを撒きまくる事態にはならなかった,と思う。・・いや,正直に告白しなければならない。数通は出てしまったかもしれない。わたしの環境では,ウイルス込みで40KBのメールが出て行くのに少なくとも5秒程度を要するが,わたしの反応速度は5秒より素早くなかったかもしれない。わたしは Windows のアドレス帳にメールアドレスを入れていないし,Outlook Express の受信トレイにもメールは入っていない。だが IE のキャッシュは空ではなかった。自分の失敗を語るのは胸が痛いが,失敗例は正確に報告して読者諸兄の参考に供さなければならない。そう,わたしはウイルスにヤられたのだ。
この失敗の原因は,ウイルス対策ソフトのデータ更新がわずか1日遅れたことにあった。問題のウイルスはその日の未明に発見されたばかりで,前日のデータでは検出できなかったのである。
違うだろ,お前は,やってみる前にLANケーブルを引っこ抜いておけばよかったぢゃないか,という指摘は・・ まったく正しい。ううむ弁解の余地がない・・ そう,どんなに対策をとったとしても,万全ではないのだ。
【教訓】 どんなにおもしろそうでも,絶対にウイルスを起動してみてはいけない! ※ なおこのエッセイは,話を面白くする目的で,一部に脚色を含みます。ご了承ください。
(2001/08/15) ウイルス
昨日,取引先のマシンが TROJ_SIRCAM.A にやられ,ウイルスつきメールを撒きまくった。このウイルスは,アドレス帳に登録されたメールアドレスだけでなく,ローカルディスク上に保存されたファイルに含まれるメールアドレスらしき文字列を検出し,そこにも送信するそうである。ということは,たとえばあなたがこの「ことりのページ」を見た後で TROJ_SIRCAM.A にやられたとすると,たとえあなたのアドレス帳にことりのアドレスが登録されていなくとも,ブラウザのキャッシュからアドレスが抽出され,わたし宛にウイルスつきメールが送られてしまう,ということになる。
というわけで,わたしのマシンにもウイルスつきメールがやってきた。本文は英文だが,日本語のファイル名の Excel ファイルが添付されている(送信元の My Documents フォルダにあったファイルが添付されてしまうのだ。裏帳簿の Excel ファイルを My Documets に置いている人は要注意)。わたしは既にこのウイルスを知っていたから,おっ来たな! っていう感じでニヤリとしたものだ。しかもマシンにはウイルスバスター2001 がインストールされているので,ウイルスが検出されて警告が出る。で,おもしろいから,添付されている Excel ファイル(を装ったウイルス)をダブルクリックしてみた。
このウイルスは,本体が C:\Recycled(ごみ箱)に展開されるのだが,ウイルスバスターはすかさずこれを捕まえて「隔離」(リネームして特定のフォルダに移動する)した。ほお,大したもんだ・・ と思ったのもつかの間,マシンの挙動がおかしい。デスクトップ上のショートカットアイコンをダブルクリックするたびに,「開くには SirC32.exe が必要です」というダイアログが・・
げっ,さては実行ファイルの関連付けを書き換えられたな・・ と気づいたが,ううむこれは困った。どのプログラムを実行しようとしても,その度にフックされたシェルがウイルス本体を探しに行き,ウイルス本体は隔離されているから実行できず,上記のダイアログが出てしまう。「感染はしなかったが後遺症が残った」という感じだ。ショートカットからの起動,.EXE ファイルの直接ダブルクリック,「ファイル名を指定して実行」,DOS プロンプトからのキータイプ,いずれもだめ。マイ コンピュータは開けたので [表示]-[フォルダ オプション] で見ると,確かに拡張子 .EXE に C:\Recycled\SirC32.exe が関連付けられていて,しかもこの関連付けは削除できない。そこでレジストリを直接いじろうと思ったが,・・ああっ regedit.exe を起動する方法がない!
降参してトレンドマイクロ社のホームページを見ると,さすがはプロ。するどい解決方法が書いてあった。それはなんと・・ regedit.exe を regedit.com にリネームする! やられた,と思った。DOS を使い倒していた頃だったらきっとすぐに思いついたであろうこの方法に,わたしは全く気づかなかったのだ。
【教訓1】 使っていない技術は,たちまち忘れる。 【教訓2】 おもしろいからといって,ウイルスを起動してみてはいけない。
(2001/08/15) 引越し
以前は,知り合いが引越しするというたびにトラックをレンタルし,「ことり運送」とか言って仲間数人で押しかけ,「準備が悪い!」「冷蔵庫の水抜きがあまい!」「これだから素人は困る!」などとののしりつつ,どどっとやっつけて悦に入っていたものだった。最近自分が引越しすることになり,距離がわずか(約1.5km)だったこともあって,ことり運送のスタッフに声をかけて集まってもらったのだが・・
- とにかく暑かった。
- 家族持ちになり,思った以上にモノが増えていた。
- なんといっても,トシをくった。
というわけで,紺屋の白袴,医者の不養生,猿も木から落ちる,河童の川流れ,てな感じになってしまった。当日来てくれたスタッフの皆様,ご迷惑をおかけしました。
今月に入って,自宅に引き続き事務所も移転した。激烈な暑さも一段落したようで,ようやくまともな暮らしができるようになった。がんばろう・・
(2001/02/21) たばこは秘めたる愉悦
某社は最近ビルを新築し全フロアが厳しく禁煙となり,喫煙常習者の皆さんは狭い喫煙コーナーでのみ細々と生き永らえているわけだが,もはや喫煙は公衆の面前で行われ得る健全な習俗ではなくなりつつある。
たとえば,あなたには異性ときわめて倒錯した性的行為にふける性癖があったとして,それを自分のアパートなり怪しげな場末のホテルの一室なりで密やかに営むのはすぐれて個人の自由であるけれども,同様の行為を職場や路上,ましてや公共交通機関の中で行うことなど思いもよらないであろう(いやわたしは違う,という方は,・・ううむ何も言いますまい)。
同様のことが酔っ払いにもいえる。酔っ払ってくだをまく,あるいはゲロをまき散らす行為は(駅のホームから勝手に転落するのは言うに及ばず),決して公衆の面前で許される健全な習俗ではあり得ない。
喫煙,ならびに酔っ払う行為は,人目につかない場所で,密やかに,楽しむべきものとなるであろう。わたしは今日も誰もいなくなったオフィスでひとり,喫煙という秘めたる愉悦にひたるのである。
注: 酔っ払って意識を失いひたすらタクシーを呼ぶ行為はどうなのか,というと,まあ当時としては若気の至り,やむを得なかったのではないか,ということで・・
(2001/02/21) 人の死と歴史と
某所で「人一人死ねば歴史が変わる」という話が出ていたが,要するにひとりの死が周囲の人間の人生を変え,さらにそれが周囲の人間に波及し,・・ということでついには歴史が変わるのではないか,ということである。ことりはこれに対して同所の掲示板で物理学的な見地から反論を展開したわけだが,最近あろうことか実際に知り合いが死んでしまった。そこでこの問題について再び考察をめぐらすに至ったのである。
彼の死がわたしに影響を与えただろうか? もちろん与えた。それによってわたしは変わったのだろうか? ここに問題がある,変わったとするならばそれは何かを基準にした時に差があるということであり,この場合は「彼があの日死ななかったと仮定した場合の現在のわたし」を基準にして,変わったというのである。だが,「彼があの日死ななかったと仮定した場合の現在のわたし」は実在しない。想像することはできるかもしれないが,その想像は検証不可能な幻に過ぎず,比較の基準たるに足るものとは考えられない。従って,「わたしは変わった」という言明は意味をなさない。
上述の掲示板において旅人氏はいう。
別の見方もある、現在の歴史も、各個々人の人生も予め神によって定められた運命で、Aは必ず死ぬことになっていたのであり、従って、Bは最初からCに出会う事はなく、Dに会うように人生がセットされていたということである。この場合は人が1人死のうが1万人死のうが歴史は変わらないことになる。
前半の神うんぬんはともかくとして,後半は次のように言い換えて今回のテーゼとしたい。
人が1人死のうが1万人死のうが,歴史は現に存在する1つしかないのであって,比較するべき対象がないのであるから,変わったとも変わらなかったともいえない。
誤解のないように書いておくが,彼の生と死はいずれもわたしにとってきわめて意義深いものであった。過去にやはり現世から去っていったわたしの(少なからぬ)友人たちと同様,彼がわたしの記憶から消えることは決してないであろう。彼の存在と記憶はいずれもわたしの人生に影響を与えたし,今後も与えつづけるであろう。それが現に存在する,ただひとつのわたしの歴史である。
(2001/01/24) 統計の意味
少し前の話になるが,1月10日の産経新聞朝刊に「19カ月ぶりに50%割れ 昨年11月の景気動向指数」という記事があった。記事へのリンクは不可とのことなので,一部を引用する。
内閣府が十日発表した昨年十一月の景気動向指数(DI、速報値)によると、景気の現状を示す一致指数が四二・九%と判断の分かれ目となる五○%を一九九九年四月以来十九カ月ぶりに下回った。
・・(中略)・・
景気の数カ月先を示す先行指数は、七指標のうち新設住宅着工床面積など四指標がプラスで五七・一%と六カ月連続で五○%を上回った。
一方、景気の後を追う遅行指数は、完全失業率などが悪化して三三・三%で四カ月ぶりに五○%を下回った。経済に疎いわたしは,「景気動向指数」なる数値の意味を全く知らなかったが,「遅行指数が33.3%」という記述には引っかかるものがあった。きっかり 1/3 ということか? 不気味じゃないか。そういえば「一致指数」の「42.9%」と「先行指数」の「57.1%」もあやしい,なぜならこれらは (50−7.1) と (50+7.1) で導かれる数だからである。わたしは電卓を手にした。ううむ,42.9%及び57.1%は明らかにそれぞれ 3/7 と 4/7 である。これはどういうことだ?
改めて記事をよく読んでみると,この景気動向指数なるものは,小数点以下1桁まで算出するのがほとんど無意味な数値であることがわかる(内閣府経済社会総合研究所の景気動向指数の利用の手引きというページに定義がある)。それは,別の数個の指標のうちプラスであるものが何個あるか,という,いわば国連安全保障理事会の議決のようなもので(あれは15か国あるからまだ多い方だ),要は「半分以上か,以下か」という程度に評価されるべきものであり,「何点何パーセント」と細かく表現する意味は全くない。それを「42.9%」などといわれると,何やら精密に算出された数値であるかのような印象を与えてしまう。実際,上述の「一致指数」の場合でいえば,7個の指標のうちプラスであるものの割合であるから,可能な数値は0%,14.3%,28.6%,42.9%,57.1%,85.8%,100%の7通りしかないのだ。
以前は中学校で「有効数字」の概念を教えていたものだが(まあ,あまり実用的ではなかったが),最近はどうなのだろうか。現場を離れて久しいのでわからないが,この例を含めて統計にはマジックがいろいろ隠されている。注意しなければならない。
(2001/01/23) ネットワークにおける人間行動の考察
中学校を出て22年になるわけであるが,最近突然級友からメールがきた。われわれの中学校ではホームページを開設していてゲストブックがあり,そこにわたしが書き込んでおいたアドレスを見て,メールをくれたのである。とっつぁんの葬式が15年前で,その時に会っているはずなのだけれど,あの時は動転していてろくにあいさつもしなかったし,それ以来まったく音信不通であった。
そういえばはと氏も,そのゲストブックにアドレスが書いてあったから連絡がとれるようになった。ゆびとまの登録情報から消息がわかった例も多いと聞く。これはまさに近年のインターネットの普及がもたらしたものだ。・・コンピュータ・ネットワークは偉大なのか? ITは恐るべき力を秘めているのか?
その通りでもあり,そうでもないとおもう。結局コンピュータ・ネットワークといっても人間が参加するコミュニティであり,ひとたびそこに参加した人間がとる行動は,あるパターンに従ったものになるだろう。すなわち,「類は友を呼ぶ」ということである。
「類は友を呼ぶ」の法則によれば,友人となった人々はそもそも同類であったのであり,ネットワーク・コミュニティへ参加する手段を得た時には,やはり似たような行動パターンをとる。インターネットは広大だが,同類の人々はその中でも限定されたある一定の範囲をさまよい歩き,たとえそれまで実生活の上で長い期間離れていたとしても,必然的に有限の時間内に出会うことになるのである。コンピュータ・ネットワークがもたらし,あるいはもたらしつつあるものは,その有限の時間を短縮する効果にすぎない。
(2001/01/23) 10をつくろう
某所の伝言板で「鉄道の切符を買った時,ついつい記載されている4桁の数字から四則演算で答えが10になるように式を考える癖がある・・」という話が出ていたが,昔けっこう研究したので懐かしく思い出した。
平方根ありのルールもあるようだが,わたしたちの(誰たちだ?)ルールでは
- 加減乗除のみ。根号などその他の演算子は使わない。単項演算子の −(前置して負号とする)も使わない。
- 4つの数字をすべて1回ずつ用いる。
- 計算順序は任意。括弧も自由につけてよい。
計算順序が任意であることから,すべての問題の数は,10個の数字から4つを選ぶ重複組み合わせの数であって
10H4 = 10+4-1C4 = 715(通り)
である。もちろん 0000 のように,どうやってもできないものもあるが,1458 のように
1−4+5+8
1×5×8÷4複数の解をもつ場合もある。2478 を考えてみると
2×7+4−8
だけが解である。7×2−(8−4) でも10になるが,これは本質的には同じ式である。
では,読者への挑戦。
- 6669
- 6789
- 3339
- 1288
- 1466
- 1199
解ができたら,メッセージボードにでも・・
(2001/01/15) 俳句はエイトビートで
某所で「8ビート」と「16ビート」の違いが話題になっていたが,体感的にはわかっているつもりのことで,それが必ずしも主観的なものではなくても,改めて定義づけを求められると困ることは多い。国語の時間に「俳句は五・七・五,短歌は五・七・五・七・七」と安易に教わるが,あの五・七・五とは「何が」五・七・五なのか? といわれると,これもまた結構困るのではないだろうか。
岩手大学工学部情報システム工学科知能システム学講座の「にほんご入門」の中にモーラと音節というページがあり,ここには
モーラは”拍(はく)”と呼ばれます。 例えば、”だるまさんがころんだ”は10拍、”グリコ”は3拍です。
では、”チョコレート”、”パイナップル”は、何拍でしょうか。また、俳句(はいく)は、この拍を単位に5・7・5で、短歌(わか)は、5・7・5・7・7で作成します。
という記述がある。だから,「俳句は五・七・五」というときは,「5モーラ,7モーラ,5モーラで構成される」といってよいだろう。「拍」は英語でいう「ビート」と同義であるから「5ビート,7ビート,5ビートで構成される」といっても同じことになる。
だが,俳句のように複数の句を続けて詠む場合は,その間の空白(つまり,音楽でいう休符)も考慮しなければならない。試みに,任意の俳句(定型のもの)をビートを刻みながら(つまり,お経のように木魚をぽくぽく叩きながら)詠んでみよう。
まつしまや□□□/ああまつしまや□/まつしまや□□□ 空白の分のビート(□で表した)があることがわかる。これを含めれば,俳句は「8ビート,8ビート,8ビート」で構成されている。俳句はエイトビートなのだ。
(2001/01/15) 500ドルPC
N社* 製の「国内標準機」が全盛であった時代の管理主義的価格とはうって変わって,最近のPC* 価格の低下には目をみはるものがある。たとえばHP* の pavilion 2000 は15”モニタ・OS* 付き \49,800 である。
これだけ低価格にするためには,無論さまざまなコストダウンの努力がなされているわけだが,コストダウンの基本的な方策に「部品数を減らす」ということがある。で,上記 pavilion 2000 においても,ある主要な部品が省かれているのだが,それはなんと・・ フロッピーディスクドライブがない!
これは,以前からPCをいじってきた者にとっては,かなりな衝撃である。ハードディスク* が飛んだら* どうするんだ? まあ,ブート* 可能な初期化用CD−ROMがついているから,そこからブートして再インストール* すればいいわけだが,それにしてもちょっとしたドライバなんか入れたくてもネットワークに入るまではどうしようもないし,そもそもネットワークカードのドライバを入れる方法がない。あ,CDに焼けばいいのか・・。Windows以外のOSを入れたくなったら・・? あっそんなの想定外なんだな。
この種の「簡易型」PCを使うには,別にCD−RWあたりを搭載した「母艦」が必要,ということだろう。
*N社: 最近では正式社名を「エヌイーシー」に変えたようだが,以前は「ニホンデンキ」ではなくて「ニッポンデンキ」だ,などと結構うるさかったらしい。「日本銀行」とか「日本放送協会」とか結構読み方に悩むが,これらについては 音訳の部屋(読み方辞典-静岡県点字図書館) 内の「日本の読み方」ページが詳しい。 *PC: personal computer の意。police car ではない。なお,ここでいうPCは,自作機やショップのキットなどを除いた「曲がりなりにもメーカー品」であるものを考えている。 *HP: hewlett-packard のこと。間違っても home page ぢゃない。 *OS: operating system。ここでは Windows 98 SE のこと。 *ハードディスク: PCの主要な構成要素。OSをはじめとして,PCの作動に必要なファイルやユーザーが作成したファイルなど,ほとんどがここに格納されている。 *飛ぶ: 壊れること。 *ブート: 電源を入れた直後のPCは,ただの電子部品の集合体に過ぎない。ここで最低限のソフトウェアを作動させ,作業ができる程度にまでもっていくこと。 *再インストール: ここでは,ハードディスクを一旦まっさらにし,OSから何から全部入れ直して,購入時の状態に戻すこと。
(2001/01/12) 「明ける」
仕事場の近くの喫茶店で昼食をとることが多いのだが,昼めし時はやはりサラリーマンが多い。彼らの会話を聞くともなく聞いていると,「休み明けにさぁ,・・」という言葉が耳に入ってきた。うんうん,よく使う表現だよなあ。
「夜が明ける」というとき,明けるものは「夜」であって,すなわち「夜が終わる」という意味になる。「年季が明ける」という言い方もあるが,この場合も「年季が終わる」ということである。「休み明け」も同様であって,休みが終わることを意味している。「ゴールデンウィーク明け」なんかも同じだ。
で,新年になったわけだが,「年が明ける」という時の「年」は,終わった年 − 去年のことなのだろうか? つまり,「年が明ける」とは「年が終わる」ということなのだろうか? いや,「年が明ける」の「年」は終わった年のことではなく,今始まったばかりの「今年」のことのような気がする。「明けましておめでとう」というときも,明けたのは「新しい年」ではないか。
「明ける」という自動詞は「主語が指し示す主体が終わって次の状態になる」という意味を表わすのではなく,動詞それ自体が「状態が新たな局面を迎える」という意味を持つものであって,主語との結びつきが希薄なのだ,と考えるべきなのだろう。
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